
仙台駅東口から榴岡公園方面へ歩くと、「二十人町」という珍しい住所が現れます。
なぜ二十人なのでしょうか。結論からいうと、この地名は仙台城下の東側に置かれた二十人衆と呼ばれる足軽鉄砲組に由来します。
この記事では、仙台の二十人町の由来、北側の鉄砲町との関係、現在まで名前が残った経緯を紹介します。
二十人町の由来を一言でいうと
二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組が置かれたことから、「二十人町」と呼ばれるようになりました。
読み方は「にじゅうにんまち」。現在も住所と道路愛称に名前が残っています。
※本記事の伊達政子は架空の登場人物です。歴史に関する本文は、仙台市の資料などをもとに構成しています。
仙台の二十人町はどこにある?
現在の二十人町は、仙台市宮城野区の仙台駅東側にあります。仙台駅から見ると榴岡公園へ向かう側で、北には鉄砲町、南には榴ケ岡が位置する地域です。
住所の読みは「にじゅうにんまち」で、郵便番号は983-0862。数字を含む珍しい町名ですが、歴史上の地名としてだけでなく、今も実際の住所に使われています。
二十人町の由来は「二十人衆」
仙台市は二十人町の由来を、二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組が置かれたことと説明しています。
足軽は、城下の警備や戦の際の役目を担った人々です。二十人町に置かれた組は鉄砲を扱い、近くの鉄砲町に住んだ足軽鉄砲組とともに、仙台城下の東側を守る位置にいました。
つまり二十人町は、単に20人が暮らした住宅地というより、二十人衆という組の名が町名になった場所と捉えるのが正確です。
今回確認した仙台市の公開資料から分かるのは、「二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組」が由来というところまでです。町の住民がいつの時代も正確に20人だった、という意味ではありません。
鉄砲町とはどう違う?
二十人町の北側には、同じく鉄砲足軽に由来する鉄砲町がありました。仙台市の説明では、鉄砲町は「二十人町の北裏」に足軽鉄砲組が配置された町です。
| 町名 | 名前の由来 | 位置関係 |
|---|---|---|
| 二十人町 | 二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組 | 鉄砲町の南側 |
| 鉄砲町 | 足軽鉄砲組の屋敷 | 二十人町の北裏 |
| 名掛丁 | 御名懸組の組士屋敷 | 仙台駅東側へ続く街路周辺 |
名前は別ですが、いずれも仙台城下の東側に置かれた組士・足軽の屋敷に関係しています。人や物資が出入りする城下の入口に、複数の組が配置されていた姿が町名から見えてきます。
二十人町は城下の東側を守る場所だった
二十人町は、仙台城の大手筋を東へ延ばした先にあたる地域でした。地域資料を集約した「よみとき仙台写真集」では、この要所に鉄砲組二十人衆を配したことが町の始まりと紹介されています。
仙台城から距離があるように感じますが、城下町全体で考えると、東側から入る道を見張る重要な位置です。鉄砲町や名掛丁と近接していることも、役割を持った人々を地区ごとに配置した城下町のつくりを伝えています。
足軽の町から庶民的な商店街へ
藩政時代に足軽の町として始まった二十人町は、時代が変わると商店街として発展しました。
「よみとき仙台写真集」によると、戦前は釈迦堂の門前町であり、花見で知られる榴岡公園へ向かう人々でもにぎわいました。明治以降は歩兵第4連隊の関係者や、近くの片倉製糸仙台工場で働く人々を相手にする店も多かったとされます。
城下を守った足軽の町から、多くの人が行き交う庶民的な商店街へ。二十人町という名前を残しながら、町の役割は時代に合わせて変化していきました。
現在の二十人町通りはどこからどこまで?
仙台市は2022年3月、仙台駅東地区の道路に歴史的な町名を生かした愛称を命名しました。その一つが「二十人町通り」です。
区間は、釈迦堂碑前から東七番丁通りまで。近くには鉄砲町通り、名掛丁通り、車町通りもあります。
この道路愛称は、藩政時代からそのまま使われてきた正式な道路名という意味ではありません。土地区画整理によって町割りが変わった地域に、かつての町名と歴史を残すため、地域の要望を受けて付けられたものです。
今の二十人町と昔の町域は同じ?
完全に同じとは限りません。仙台駅東側では土地区画整理が進み、2015年9月19日に町名と地番が変更されました。
旧二十人町の多くは新しい地番の二十人町へ引き継がれましたが、一部は鉄砲町西や鉄砲町東になっています。一方で、旧東八番丁などから現在の二十人町に編入された場所もあります。
そのため、現在の住所や二十人町通りを、そのまま江戸時代の境界線と考えないことが大切です。それでも、町名が住所として残り、通りにも再び掲げられたことで、城下町の記憶をたどる手掛かりになっています。
二十人町を歩くときの見どころ
- 現在も使われている「二十人町」の住所表示
- 釈迦堂碑前から続く二十人町通り
- 北側を走る鉄砲町通りとの位置関係
- 榴岡公園へ向かう街路と、かつての行楽客の流れ
武家屋敷がそのまま残る場所ではありませんが、通りの名と周辺の町名を見比べると、城下東側に足軽や組士の町が並んでいた様子を想像できます。
現地を歩く際は、一般の住宅や事業所の迷惑にならないよう、道路上から町名表示や街路を確認しましょう。
よくある質問
二十人町は「にじゅうにんちょう」と読みますか?
「にじゅうにんまち」と読みます。仙台市の道路愛称も「二十人町通り(にじゅうにんまちどおり)」です。
二十人町には本当に20人が住んでいたのですか?
町名は二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組に由来します。今回確認できた公開資料だけでは、町の住民数が常に20人だったとは断定できません。
二十人町は現在も住所として残っていますか?
残っています。仙台市宮城野区二十人町として現在も使われており、郵便番号は983-0862です。
二十人町通りは江戸時代から同じ道ですか?
現在の二十人町通りは、区画整理後の道路に2022年3月に付けられた愛称です。歴史的町名を受け継いでいますが、藩政時代の道筋や町域と完全に同じとは限りません。
まとめ|二十人町は城下東側を守った足軽の名を残す町
- 二十人町の由来は、二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組
- 鉄砲町の南側に位置し、城下東側の守りに関わった
- 近代には釈迦堂の門前町、榴岡公園へ向かう商店街として栄えた
- 現在も住所と二十人町通りに名前が受け継がれている
「二十人」という数字だけを見ると不思議な町名ですが、その背景には城下を守った足軽鉄砲組がいました。次に仙台駅東口から榴岡公園方面へ歩くときは、北側の鉄砲町と合わせて町名を探してみてください。